もっと、あのシーンが観たかった~香川真司、ドルトムント移籍決定に寄せて
マンチェスター・ユナイテッドのユニフォームを着た香川真司が、ルーニーと一緒にビッグイヤーを高々と掲げる姿を観たい!1年半前は、夢のような時間でした。ハットトリックの午後、マンチェスター・ユナイテッドを応援するすべての人が、彼らがこれからも一緒に多くのゴールをクラブにもたらしてくれると思ったでしょう。しかし、香川真司がルーニーのパスをもらってゴールしたのは、これが最後となってしまいました。
2013年5月19日。WBAと5-5の乱打戦となったゲームで、香川真司はマンチェスター・ユナイテッドにおける最後のゴールを決めました。サー・アレックス・ファーガソン監督のラストゲームで、ニアサイドに走り込んだ香川真司の頭に最高のクロスを合わせてくれたのは、ウエイン・ルーニーではなくチチャリートでした。直後、自分を口説いてくれた監督がクラブを去ると、舞台は暗転します。
プレミアリーグ2年め、モイーズ監督に左サイドでのプレイを求められた香川が、トップ下でルーニーとプレイしたのは、ほんのわずかな時間でした。この夏、4人めの上司となったファン・ハール監督が、猛暑のアメリカ遠征で、香川真司とルーニーを一緒にプレイさせることはありませんでした。香川真司がプレミアリーグから去るにあたって、ひとつだけ思うのは、「ルーニーとの最高のコンビでゴールを決める姿をもっと観たかった」。あらためて、ドルトムント時代の活躍ぶりを映像で見ると、「ゴール前で違いを創れる」とサー・アレックスが見込んで獲った選手を、マンチェスター・ユナイテッドは初心に帰って今一度試したほうがよかったのではないかと思います。当時の香川真司は、バイエルン・ミュンヘンを子ども扱いするぐらいキレキレだったのです。ファン・ハール監督は拙速だったのではないか…。
DFシュメルツァーは、「シンジおかえり」と日本語を交えたメッセージ。MFギュンドガンは「おかえり兄弟!すごくうれしいよ! (Welcome back bro! So happy!)君の友人より」。シャヒンは「ようこそ友よ!」。マルコ・ロイスも香川は素晴らしい選手と語り、それぞれのTwitterには並んで撮った思い出の写真が載っています。最愛の友、グロスクロイツは、移籍直前に香川真司に直接コンタクトをとり、一緒に過ごした2年間がいかに自分にとっていい時間だったかを力説。「そろそろ戻ってきていい頃だ!」といって電話を切ったそうです。公式サイトのトップ記事は「Shinji Kagawa returns to Borussia Dortmund」。「Back Home!」という見出しが踊るファンショップは、移籍決定前からフライングでネーム入りのウエアを販売。地元新聞のアンケート調査では、サポーターの92%が「香川真司は必要な選手」と回答…。
これだけ愛してくれる人々のいる場所なら、早く帰らなければいけません。これでよかったんだ。腹の底から、そう思いました。
ドルトムントでの新しい背番号は「7」に決まったそうです。プレミアリーグで、背番号7を背負った香川真司を観たかった私としては、複雑な思いにかられる番号ではあります。しかし、すべては終わったのです。プレミアリーグにチャレンジした2年間で、香川真司は成長したのか。そして、今回のドルトムント復帰は成功だったのか。敏腕記者も熱きサポーターも、今、その答えは出せません。答えは、香川真司自身が、これからのプレイで出すはずです。
おつかれさまでした。オールド・トラフォードで姿を観られなくなるのは残念ですが、ひとりのサポーターとして気持ちよく送り出したいと思います。ブンデスリーガで持てる力を出し切って、800万ユーロなどという価値の選手ではないことを欧州じゅうに証明し、夢だったチャンピオンズリーグ優勝を愛する仲間とともに勝ち取ってください。
2年間、ありがとうございました。本当に、いい夢を見させていただきました。ケガにだけは、気をつけて。
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ご苦労様です。私の壁紙もハットの香川です。得意の胸の辺りの高さのガッツポーズです。暫定ギッグス入れて四人の強い個性と理念を持った監督達に翻弄され続けた二年でした。私は、ゾラとスールシャールが好きだったために自然とチェルシーとユナイテッドを応援するようになりました。
そのユナイテッドに香川が移籍する‥ボルトン中田、フラム稲本も愉しみましたが、驚きと嬉しさは、比ではありませんでした。香川個人の努力や力では、何ともし難い不完全燃焼で去ってしまいますが、ドルで輝いて欲しいですね。中にはプレミア移籍は失敗だという意見もありますが、サッカー少年が最初に抱く夢は、バルサやマドリー、ユナイテッドやユーベ、ミランです。夢を叶えた香川は、本田や長友、世界中で奮闘している日本人プレイヤー同様に日本の誇りだと思います。香川に幸あれ。
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> 当時の香川真司は、バイエルン・ミュンヘンを子ども扱い…
何を隠そう、当時のBayern Munichの監督は…
AGさん>
私と非常に近しい言葉が並んでおり、うれしいですね。現地のメガストアで買ったユニフォームは、カガワ、スールシャール、ファン・ニステルローイです。おっしゃるとおり、実力がなかったわけではないというところを、古巣で見せつけてほしいと思います。
ASAPさん>
そうなんですよね。だからですかね?あの冷たさ(笑)
香川選手にとっては移籍してきた時期が悪かったのだと思います。
過渡期の名門チームで活躍するにはちょっと荷が重すぎました。
彼の良さを理解してくれていたのがルーニーと移籍したエヴラ、そして競争相手のマタぐらいでしたから。
再建途上のユナイテッドにとって育成上がりの選手でない香川選手の成長を待つには時間がありません。ファンハールとしては厚くなりすぎた前線・中盤を整理する必要があり、個の力で見劣りがする香川選手の放出はやむを得なかったのでしょう。
ただ昨シーズン、ファンペルシ不在時にもう少し我慢してトップ下で使い続けていれば、チームにフィットしたと思うんですけれどね…。
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Uボマーさん>
キャリックも理解者でしたよね。おっしゃるとおり、タイミングはホントに悪かったですね。サー・アレックスの下でもう1年やれていれば、それだけでも違ったと思います。私も、昨季のファン・ペルシとルーニーがそれぞれ(あるいは両方)不在だった時期が特にもったいなかったと思います。