2025.10.13 選手トピックスチームの話題(全体・他クラブ)
ロンドンの7つのクラブが入団NG!15歳で挫折したセメンヨをトップクラスに導いた3つの出会い。

今季プレミアリーグで7試合6ゴール3アシスト。絶賛大ブレイク中のセメンヨを「リーグNo.1」と称える記者もいます。25歳のガーナ代表というと「リーグアンで活躍してたのかな」と思う人もいるでしょう。しかしセメンヨはチェルシー出身で、国外でプレイした経験はありません。2年前まで無名だったウインガーが、脚光を浴びるようになるまでの不遇な足跡を辿ってみましょう。
ガーナのプロリーグで活躍した父親とフランス人の母親を持つ15歳の少年は、何度チャレンジしてもいい返事をもらえず、鬱屈した日々を過ごしていました。ミルウォールに5回もNGを出されたというエピソードに触れると、「4回断られたのに、めげなかったの?」と聞きたくなります。ついに心が折れたのは、クリスタル・パレスの8週間のトライアルの後。クラブからの通知は「グッドラック」でした。
ショックを受けてフットボールから遠ざかったセメンヨは、1年後にビシャム・アビーFCのオープントライアルに招待され、再びプロのプレーヤーになるという夢を抱いて歩き出しました。それでもしばらくは未来が見えず、リーズの元監督デイヴ・ホッカディとの出会いがなければ、挫折していたかもしれません。
16歳になっていたセメンヨは、ホッカディに勧められて、サウスグロスターシャー・アンド・ストラウド・カレッジのユースアカデミープログラムに参加。バーミンガム、クリスタル・パレス、ブリストルに誘われたのは、急激に成長を遂げたからでしょう。17歳の原石が選んだのは、挫折のきっかけとなったサウスロンドンのクラブではなく、ロンドンの西にある港湾都市のクラブでした。
ブリストルのアカデミーに入ったセメンヨは、ナショナルリーグ・サウスのバースシティに貸し出されて実戦の経験を積み、18歳になってすぐにプロ契約を結びました。2018-19シーズンは、リーグ2(4部相当)のニューポート・カウンティにローン移籍。彼と同じ2000年生まれのエミール・スミス・ロウは、このとき既にアーセナルで頭角を現しており、ELのカラバフ戦で初ゴールを決めています。
リーグ2では32試合6ゴールという数字を残したものの、2019-20シーズンのブリストルではチャンピオンシップ9試合でノーゴール。20歳になった年明けにレンタルされたサンダーランド(リーグ1)でも7試合ノーゴールで、当時のレベルは「4部以上、3部未満」だったようです。ひとつ年下のブカヨ・サカは、このシーズンのプレミアリーグで26試合に出場しています。
この頃のセメンヨが結果を出せなかった理由のひとつは、センターフォワードで起用されていたことでしょう。ニューポート時代に「彼はビッグクラブと契約すべき」と絶賛していたマイケル・フリン監督がウイングにコンバートしたのですが、その後の監督たちはスピードを活かそうとは考えなかったようです。
「彼が大好きだった。とても謙虚で礼儀正しく、毎日笑顔で練習に参加していた。まだ18歳だったけど、プレイを5分も見れば十分だった。パワフルでスピードがあり、左足も右足も使えて、サイドを駆け上がってクロスを上げるのが得意で、インにも斬り込める。とても強靭で、リーグ2のビッグプレーヤーたちが威圧しようとしてきても、寄せ付けなかった」(マイケル・フリン)
ブリストルに復帰した2020-21シーズンに、転機が訪れました。10節のハダースフィールド戦から、右ウイングで3戦連続アシスト。サイドが主戦場となった21歳の新鋭は、クラブの年間最優秀若手プレーヤーに選出されました。2021-22シーズンは公式戦32試合8ゴール12アシスト、翌シーズンの前半戦は23試合6ゴール2アシスト。念願のオファーが届いたのは、2023年1月でした。
ボーンマスがブリストルに支払った移籍金は、1000万ポンド。最初の半年はプレミアリーグ11試合1ゴールという凡庸なスタッツだったのですが、デイヴ・ホッカディとマイケル・フリンに続く3度めの運命の出会いが、彼の視界を広げてくれました。2023年6月、ゲイリー・オニールの後を継いだのはアンドニ・イラオラ。セメンヨの強みを活かすべく、左右のウイングで起用した指揮官です。
2023-24シーズンは公式戦36試合8ゴール3アシスト。昨季は42試合13ゴール7アシストという出色の数字を残し、夏になると「マンチェスター・ユナイテッド、リヴァプール、スパーズが争奪戦を展開。移籍金は7000万ポンド」と報じられました。しかし本人は、報道がヒートアップする前に2030年までの新たな契約書にサイン。残留という判断に迷いはなかったようです。
「このクラブで、大きく成長できた。プレシーズンのトレーニングに復帰する前に契約できて、とてもうれしい。ファン、スタッフ、チームメイト…クラブを取り巻くすべての人々にとても感謝している。ここは本当に素晴らしい場所。ボーンマスで新シーズンに向けて、ハードワークを続けられるのを楽しみにしている」(アントワーヌ・セメンヨ)
「How Antoine Semenyo became the Premier League’s most devastating player(アントワーヌ・セメンヨがプレミアリーグで最も破壊力がある選手になった経緯)」。刺激的なレポートを配信した「テレグラフ」のサム・ディーン記者は、記事の最後に「彼がこのレベルのパフォーマンスを続ければ、すぐにまた電話が鳴るのは間違いない」と記し、こう続けています。
「10年前は国内のビッグクラブがセメンヨの入団を断ったが、今ではどのクラブも獲得したがっている」。ホッカディの熱心な説得がなければ、ウイングで結果を残せなければ、イラオラの指導と的確な起用がなければ、21歳まで強みを明確にできなかったウインガーのブレイクはなかったのかもしれません。トップレベルに駆け上がる選手とどこかで止まってしまう選手の差は、いつも紙一重です。
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