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偏愛的プレミアリーグ見聞録

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「ワンダーボーイ」と呼ばれて15年。マイケル・オーウェン引退発表!

現在、ストークに所属しているマイケル・オーウェンが昨日、引退を発表しました。自身の公式サイトのメッセージは「カーテンを下ろす時がきた。幸運なキャリアだった」。イングランド代表89試合で40ゴール。1998年、フランスワールドカップのアルゼンチン戦で大会で最も美しいゴールを決め、世界を驚かせたそのスピードはケガという代償とセットで、キャリア後半の失速はケガとの戦いの歴史でもありました。

いちばん思い出すのは、2001年のドイツ代表戦でのハットトリック。バロン・ドール(欧州最優秀選手)受賞の決め手となった活躍です。2000-2001シーズンで、彼の所属するリヴァプールは「FAカップ・UEFAカップ・リーグカップ」のカップ三冠という珍しい記録を打ち立て、翌シーズン開始時のマンチェスター・ユナイテッドとのチャリティ・シールド(前年のリーグ覇者とFAカップ勝者が翌シーズン頭に対戦するカード)にも勝ち、バイエルンとの欧州スーパーカップ(前シーズンのチャンピオンリーグ優勝チームとUEFAカップ勝者が戦うカード)も獲得。「リーグとチャンピオンズリーグを勝たずに5冠達成」という、今後出ないんじゃないかと思われる記録を作っています。オーウェンが素晴らしかったのは、この5冠のうち、UEFAカップを除くすべての決勝戦でゴールをしていること。これに加えて、敵地でドイツを1-5で粉砕した立役者となる最高のプレイ。2001年はまさに「オーウェンの年」だったのです。

彼のキャリアに影を落としたのは2006年のワールドカップで負った左膝の前十字靭帯断裂でした。元日本代表の小倉選手もこのケガにスピードを奪われましたが、彼もまた回復までに1年以上を要し、FIFAから当時所属していたニューカッスルに1000万ポンド以上という異例の補償金が払われ、ワールドカップで負傷した選手への補償という制度が整備されるきっかけとなりました。ここから持ち前のスピードを失い、ゆるやかに選手としての価値を手放し続けます。20代後半というサッカー選手が全盛期を迎えるはずの年月を、彼は「失う」ことに費やしたのです。2009年にマンチェスター・ユナイテッドに来たときは、正直、「これは戻らないな」と思いました。それでも黙々と練習に励み、愚痴をこぼさず、試合に臨む姿勢は素晴らしかった。ストークに移った今季を含む最後の4年は、今回の決断をするために、彼自身が納得するための時間だったのでしょう。

上背はなく、長距離を走らせればもっと速い選手はいっぱいいたでしょう。「世界一、5メートル走が速い選手」であったことが彼の輝かしいキャリアを創ったのだと思います。

やりきったでしょう。おつかれさまでした。あなたの晩年を見届けたひとりのマンチェスター・ユナイテッドファンとして、感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございました。(写真著作者/Helen Bromley)

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