2024.11.20 選手トピックスマンチェスター・ユナイテッドの話題
始まりは、左膝のかすかな違和感。痛み、不安、孤独に苛まれたタイレル・マラシアの535日。
2024年11月12日、タイレル・マラシアがピッチに帰ってきました。ハダースフィールドの本拠地ジョン・スミスで開催されたEFLトロフィー。3021人のファンの前に姿を現したレフトバックは、ハーフタイムにアマスに後を譲り、マンチェスター・ユナイテッドのU-21チームは、終盤の3失点で4-1の完敗を喫しています。
赤いシャツを着てプレイするのは、プレミアリーグ2022-23シーズンの最終節のフラム戦以来、535日ぶりでした。「僕はもともと辛抱強いけど、このプロセスを経て、世界で最も忍耐力がある人間だということがわかった」。1年半もの長きに渡り、ピッチから遠ざかった25歳は、焦りと不安に苛まれた日々が嘘だったかのような笑顔を浮かべていました。
「アスレティック」のマーク・クリッチリー記者のレポートに目を通すと、彼が歩んできた道が、いかに苦難に満ちていたかが伝わってきます。プロフットボーラーに起こりえる災いの大半を潜り抜けてきたといっても、大げさではないでしょう。その始まりは、左膝のかすかな違和感。マン・ユナイテッドの初年度に39試合に出場し、手応えを感じていたオフシーズンでした。
診断の結果は、半月板の損傷。当初は、数週間休めば痛みは解消すると楽観的に考えていたそうです。しかしバケーションを楽しみ、トレーニングを再開すると、やはり違和感があります。オランダに帰って手術を受けたのは、2023年7月。リハビリを始めるとすぐに患部に炎症が起こり、スキャンの結果、半月板の周囲に軟骨の破片が散っているという問題が判明しました。
12月の再手術は、つらいリハビリをゼロからやり直すことを意味します。マンチェスター・ユナイテッドのメディカル部門は、彼に必要なレベルのケアを常に提供できる体制がなく、チームの負傷者続出も復帰が遅れる原因となってしまいました。昨シーズンの終盤はバルセロナに渡り、外部のスペシャリストのアドバイスを受けながらトレーニングに励む日々を過ごしています。
あの違和感を、早くクラブに報告していれば。リハビリの初期にクラブとコミュニケーションを取っていれば。時間が経てば経つほど、関係者でも当事者でもない人々が語る無数の「たら・れば」が聞こえてきます。少しでも急ぐと前に進めなくなる複雑な症状は、彼に忍耐を要求し続け、復帰の見通しが立たないなかで、クラブも沈黙を強いられました。
SNSのアカウントが休止状態になったのは、今年の7月。この頃からフットボールファンの憶測が拡散し始め、死亡説、逮捕説、ウェールズ公妃ケイト・ミドルトンとの駆け落ち説など何でもありのカオス状態に突入しました。12月に祖母が亡くなり、悲しみが癒えないまま、父親の病気という新たな問題を抱えてしまい、ただひたすら沈黙するしかない苦しい季節でした。
リハビリをやめたいと何度も思ったこの時期を乗り切ったことが、秋の復帰につながっています。「自分は忍耐強い人間だ」「楽しもう。毎日笑顔でいよう」と自らに言い聞かせたSBは、チームメイトの支援も重要だったといっています。ラシュフォードと毎日のように話し、ブルーノ・フェルナンデスとメイソン・マウントはときどき顔を見に来てくれたそうです。
「アスレティック」の記者が緻密な取材でまとめたレポートから、タイレル・マラシアの長期離脱の経緯を紹介しました。原題は、「Man Utd’s Tyrell Malacia on his injury nightmare and conspiracy theories that ran wild: ‘There’s no way I could give up’」。得意ではないインタビューに応じた彼の言葉に触れたい方は、こちらをご一読ください。
今もどこかに、ポジションを失いたくなくて痛みを報告せず耐えている選手や、今までできていたことができずにあえいでいる選手がいるのでしょう。われわれファンが傲慢でいられるのは、ピッチの上で起こった出来事について語るときだけです。誰かの振る舞いや人格を非難すれば、ただでさえ孤独な人間に無用の苦しみを与えてしまうのだと肝に銘じようと思います。
オールド・トラフォードに、ようやく本物のレフトバックが帰ってきます。素晴らしい記事を届けてくれた記者のおかげで、新たな思いをもって彼のプレイを見ることができます。カゼミーロにFAカップのメダルを受け取るべきといわれ、「チームの一員ではなかったから」と断った25歳のSBが、笑顔でトロフィーを掲げる日が来ることを願ってやみません。(タイレル・マラシア 写真著作者/Werner100359)
赤いシャツを着てプレイするのは、プレミアリーグ2022-23シーズンの最終節のフラム戦以来、535日ぶりでした。「僕はもともと辛抱強いけど、このプロセスを経て、世界で最も忍耐力がある人間だということがわかった」。1年半もの長きに渡り、ピッチから遠ざかった25歳は、焦りと不安に苛まれた日々が嘘だったかのような笑顔を浮かべていました。
「アスレティック」のマーク・クリッチリー記者のレポートに目を通すと、彼が歩んできた道が、いかに苦難に満ちていたかが伝わってきます。プロフットボーラーに起こりえる災いの大半を潜り抜けてきたといっても、大げさではないでしょう。その始まりは、左膝のかすかな違和感。マン・ユナイテッドの初年度に39試合に出場し、手応えを感じていたオフシーズンでした。
診断の結果は、半月板の損傷。当初は、数週間休めば痛みは解消すると楽観的に考えていたそうです。しかしバケーションを楽しみ、トレーニングを再開すると、やはり違和感があります。オランダに帰って手術を受けたのは、2023年7月。リハビリを始めるとすぐに患部に炎症が起こり、スキャンの結果、半月板の周囲に軟骨の破片が散っているという問題が判明しました。
12月の再手術は、つらいリハビリをゼロからやり直すことを意味します。マンチェスター・ユナイテッドのメディカル部門は、彼に必要なレベルのケアを常に提供できる体制がなく、チームの負傷者続出も復帰が遅れる原因となってしまいました。昨シーズンの終盤はバルセロナに渡り、外部のスペシャリストのアドバイスを受けながらトレーニングに励む日々を過ごしています。
あの違和感を、早くクラブに報告していれば。リハビリの初期にクラブとコミュニケーションを取っていれば。時間が経てば経つほど、関係者でも当事者でもない人々が語る無数の「たら・れば」が聞こえてきます。少しでも急ぐと前に進めなくなる複雑な症状は、彼に忍耐を要求し続け、復帰の見通しが立たないなかで、クラブも沈黙を強いられました。
SNSのアカウントが休止状態になったのは、今年の7月。この頃からフットボールファンの憶測が拡散し始め、死亡説、逮捕説、ウェールズ公妃ケイト・ミドルトンとの駆け落ち説など何でもありのカオス状態に突入しました。12月に祖母が亡くなり、悲しみが癒えないまま、父親の病気という新たな問題を抱えてしまい、ただひたすら沈黙するしかない苦しい季節でした。
リハビリをやめたいと何度も思ったこの時期を乗り切ったことが、秋の復帰につながっています。「自分は忍耐強い人間だ」「楽しもう。毎日笑顔でいよう」と自らに言い聞かせたSBは、チームメイトの支援も重要だったといっています。ラシュフォードと毎日のように話し、ブルーノ・フェルナンデスとメイソン・マウントはときどき顔を見に来てくれたそうです。
「アスレティック」の記者が緻密な取材でまとめたレポートから、タイレル・マラシアの長期離脱の経緯を紹介しました。原題は、「Man Utd’s Tyrell Malacia on his injury nightmare and conspiracy theories that ran wild: ‘There’s no way I could give up’」。得意ではないインタビューに応じた彼の言葉に触れたい方は、こちらをご一読ください。
今もどこかに、ポジションを失いたくなくて痛みを報告せず耐えている選手や、今までできていたことができずにあえいでいる選手がいるのでしょう。われわれファンが傲慢でいられるのは、ピッチの上で起こった出来事について語るときだけです。誰かの振る舞いや人格を非難すれば、ただでさえ孤独な人間に無用の苦しみを与えてしまうのだと肝に銘じようと思います。
オールド・トラフォードに、ようやく本物のレフトバックが帰ってきます。素晴らしい記事を届けてくれた記者のおかげで、新たな思いをもって彼のプレイを見ることができます。カゼミーロにFAカップのメダルを受け取るべきといわれ、「チームの一員ではなかったから」と断った25歳のSBが、笑顔でトロフィーを掲げる日が来ることを願ってやみません。(タイレル・マラシア 写真著作者/Werner100359)
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