「アーセナルが好きだった」若手の台頭で居場所を失ったジンチェンコは、活躍の場を見出せるのか?

ノースロンドンにやってきたのは、2022年7月。ガブリエウ・ジェズスの入団が決まった2週間後でした。ミケル・アルテタ監督と並んで撮影された満面の笑顔の写真を、今でも覚えています。ペップ・グアルディオラのチームで、9つのタイトル獲得に貢献したオレクサンドル・ジンチェンコは25歳。「アルテタ監督のスタイルに関わりたかった」と目を輝かせていました。
母国ウクライナにロシアが侵攻し、不安が募るなかでの入団でしたが、大半の時間を首位で過ごした2022-23シーズンは、キャリアで最高の1年といえるでしょう。指揮官に偽SBという重要な役割を託されたレフティは、巧みなパスワークで前線を動かし続けました。2023年2月のヴィラ戦で、ショートコーナーから決めた同点のミドルは、プレミアリーグ6年めの初ゴールでした。
アーセナルにおけるベストマッチは、2023年11月のバーンリー戦でしょう。前半の追加タイムの先制ゴールは、彼がダイレクトで入れた鋭いクロスが決め手でした。サカが頭で左隅に送ると、詰めてプッシュしたのはトロサール。2-1でリードの74分には、CKのこぼれ球をジャンピングボレーで合わせ、右のサイドネットに収めました。
出番が激減したのは、その5か月後。ふくらはぎを痛めて5週間離脱となり、4月のルートン戦で先発に復帰したのですが、0-2で敗れたアストン・ヴィラ戦をきっかけに冨安健洋にポジションを奪われました。指揮官のなかでは、2年めが始まる前にバックアッパーだったはずです。冨安とキヴィオル、ジンチェンコがいたのにユリエン・ティンバーを獲得したのですから。
アヤックスから来た新戦力が前十字靭帯損傷という重傷を負わなければ、もっと早くベンチで過ごす時間が増えていたでしょう。3年めの2024-25シーズンには、カラフィオーリとルイス・スケリーが加わり、さらに出番が減ってしまいました。負傷したウーデゴーアの穴を埋められれば、信頼を高められたのかもしれませんが、彼もその時期はふくらはぎを痛めて離脱していました。
いや、2024-25シーズンのジンチェンコは、潜在的なヒールだったのかもしれません。偽SBのポジションにはルイス=スケリーがいて、右のインサイドにはヌワネリが控えていました。ジンチェンコの重用は、多くのグーナーが絶賛するティーンエイジャーたちがチャンスを失うことと同義になっていたのです。プレミアリーグの後半戦の先発は、チームがCLにシフトした4月以降の3試合のみでした。
中盤にズビメンディが加わり、2年めのカラフィオーリがフィット感を高めれば、彼の居場所はなくなりそうです。イタリアの「スカイ」は、ACミランがジンチェンコ の獲得を検討していると報じています。テオ・エルナンデスがアトレティコ・マドリードに移籍濃厚といわれており、後釜の有力候補として白羽の矢が立ったようです。
マン・シティから3200万ポンドで移籍したレフティの契約は残り1年で、アーセナルは移籍金にはこだわらないでしょう。ミランの最大のハードルは週給15万ポンド(約2930万円)のようで、本人が移籍を望むなら減額を受け入れる必要に迫られるかもしれません。喜びを爆発させたあの日から、たった3年。彼の目に映るノースロンドンの景色は、どれほど変わったのでしょうか。
アーロン・ラムズデール、エミール・スミス・ロウ、キーラン・ティアニー。ミケル・アルテタが語る未来に魅了され、アーセナルを愛し、全力を尽くしながら活躍の場を失った選手がいます。オレクサンドル・ジンチェンコも、彼らの後を追うように別れを選ぶのでしょう。クラブの成長は、競争に敗れ去る者たちの頭上で成り立っているものです。
かつてマンチェスター・シティのチームメイトたちに、テクニックはデブライネより上と絶賛されながらフルバックにまわった天才は、自らのベストポジションを知らずに28歳になってしまったように見えます。2025年の夏、彼は真価を発揮できるステージに出会えるのでしょうか。ナポリで攻撃力を開花させ、セリエAのMVPに上り詰めたスコット・マクトミネイのように。
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