2025.08.03 プレミアリーグ観戦記
濃密だった10年の終わりに、念願のタイトル獲得。スパーズのレジェンド、ソン・フンミンが退団を発表。

キャリアの晩年に差しかかって、ようやく手に入れた念願のトロフィー。喜びに浸ったタイミングは同じでも、その意味は大きく異なるようです。32歳のイングランド代表キャプテンにとっては、あくまでもステップ。しかし33歳になったスパーズのキャプテンにとっては、ピリオドでした。2025年8月2日、ソン・フンミンは10年過ごしたクラブから離れると発表しました。
プレシーズンツアーで訪れたソウルのICFモールで、大事な記者会見に臨んだストライカーは、胸に「Spurs」とプリントされた黒いTシャツを着ていました。「会見を始める前に、この夏をもってクラブを離れると決めたことをお伝えしたいと思います。これまでのキャリアで、最も難しい決断でした」。彼は明らかに、感情的になっていました。
「最大の理由は、トッテナムでできることをすべて成し遂げたからです。新たな環境で、フレッシュな気持ちでチャレンジしたいと考えています。クラブがこの決断を尊重してくれたことに感謝するとともに、来シーズンもいい結果を残せるよう祈っています」。韓国語でメッセージを読み上げながら、何度も声を詰まらせた元キャプテンは、涙を止められずに顔を覆っています。
「ノースロンドンに来たときは子どもで、23歳ととても若く、英語も話せませんでした。今、私はひとりの大人としてクラブを去ります。多大な愛情をくれたスパーズファンのみなさんに感謝しています。まるで故郷のようでした」。トーマス・フランク監督に決意を伝えたのは6月で、話を聞いていたのはベン・デイヴィスをはじめ、ごく一部のチームメイトだけだったそうです。
レヴァークーゼンからスパーズに移籍したのは、2015年の夏。移籍金2250万ポンドは、プレミアリーグに参入したアジア人の最高額でした。マウリシオ・ポチェッティーノの下で戦った最初のシーズンは、プレミアリーグ28試合4ゴール1アシスト。イングランドにフィットするまでに時間を必要としたのですが、2年めは34試合14ゴール7アシストで、レギュラーに定着しました。
以来、8シーズン連続で2ケタゴール。トッテナム・ホットスパー・スタジアムを最も盛り上げたのは、2019年12月7日のバーンリー戦でしょう。自陣ボックスのコーナーからドリブルを始めたのは32分。4人に囲まれながら加速し、3人抜きで70メートルを独走して右に流し込んだ一撃は、FIFAプスカシュ賞を受賞しています。
その1ヵ月前に、アンドレ・ゴメスへのスライディングで重傷を負わせてしまい、轟轟たる非難を浴びていたのですが、直後のCLのツルヴェナ・ズヴェズダ戦でトラウマを払拭する2ゴールをゲット。喜びを表現するセレブレーションを行わず、カメラに向かって手を合わせて謝罪の意を表したソン・フンミンは、「支えてくれたサポーターに感謝している」と振り返っています。
2021-22シーズンにはモー・サラーと並ぶ23ゴールを積み上げ、アジア人として史上初のプレミアリーグ得点王に輝いています。ハリー・ケインとのゴール&アシスト47回は、今でもリーグレコード。明るいキャラとダイナミックなゴールシーンでサポーターたちの心をつかんだソニーは、昨夏もシャツの売上No.1でした。
最後の年となった2024-25シーズンは、プレミアリーグで7ゴールしか決められず、ELのノックアウトラウンドではノーゴール。最終盤に足を痛めて7試合を欠場したベテランは、マンチェスター・ユナイテッドとのファイナルの前から、自らの未来について考え始めていたのかもしれません。次なるステージは、MLSのロサンゼルスFCでしょうか。
公式戦454試合出場は、シリル・ノウルズ、パット・ジェニングス、ゲイリー・マバット、スティーヴ・ペリーマン、グレン・ホドルに次ぐクラブ史上6位。173ゴール101アシストはレジェンドと称えられるべき数字で、プレミアリーグ71アシストはスパーズのレコードです。欧州戴冠という快挙とともに、濃密だった10年の記憶はサポーターの脳裏に深く刻まれているはずです。
おもしろいと思っていただけた方は、お時間あれば、下のブログランキングバナーをクリックしていただけると大変うれしいです。所要時間は5秒です。何とぞよろしくお願いいたします!
コメントを残す