アンフィールド探訪~イギリス人に最も愛されたスタジアム
グディソンパークから、スタンリー・パークという名の大きな公園を抜けると、やがて静かな住宅地が見えてきます。白と赤を基調とした、統一感のある街並み。外から見れば、落ち着いたきれいなエリアですが、通りを入っていくと、壊れかけた壁、破れた窓、出されっぱなしのゴミ袋。年末だからなのか、いつもそうなのかわかりませんが、人の気配が全くないのです。ほんとうに、この近くにあのイングランドNo.1といわれるスタジアムなどあるのだろうか、と疑いながら10分ほど歩くと、いきなりアンフィールドの大きな壁が姿を現わします。なぜ、こんなところに…と思わずにはいられない、不思議な空間。2012年12月30日、チェルシーVSエヴァートン戦を観た後、その足でリヴァプールの本拠地を訪ねました。
スタジアムのエントランス(筆者撮影)とコップ・スタンド(wikipediaより引用)
オールド・トラフォードにサー・マット・バスビーとサー・アレックス・ファーガソンの銅像があるように、ここにはリヴァプールを世界に知らしめた2人の名将、ボブ・ペイズリーとビル・シャンクリーの像が飾られており、スタジアムの門にも2人の名が残されています。1960年代にチームを1部(当時のトップリーグ)に引き上げ、リーグ優勝と初のFAカップ制覇を成し遂げたシャンクリーと、彼に学び、後を継ぎ、70年代から80年代頭にかけて、3度のチャンピオンズカップ優勝をもたらしたペイズリー。リヴァプールの黄金時代は、この2人によってもたらされたのです。ちなみに、アンフィールドは、元々エヴァートンのホームグラウンドだったのをご存じでしょうか。エヴァートンがグディソン・パークに移転した後、リヴァプールがこの地に入り、以後、リヴァプールとそのサポーターの弛まぬ努力によって、チームもアンフィールドも世界的な評判を得るに至ったのでした。
シャンクリー・ゲートの門を飾る「You’ll Never Walk Alone」の文字。これはいわずと知れた、リヴァプールサポーターなら誰もが歌えるクラブの魂ともいうべきアンセムのタイトルです。現在、この歌を愛唱歌とするクラブは欧州全体で10クラブを超えますが、当然、元祖はリヴァプール。「人生、独りじゃないぜ」という粋なタイトルの歌を大合唱するコピテス(コップ・スタンドで応援する熱狂的リヴァプールサポーターの通称)に支えられた”レッズ”は、その全盛期には「アンフィールドでは勝てない」といわれていました。リヴァプールとエヴァートンは、同週にホームゲームを開催することがないため、われわれはその熱気に触れることはできませんでしたが、いずれ、アウェイチームサポーターとして、その恐怖感を味わってみたい。MAN.UTDファンとしては、さすがにコップ・スタンドには座れません。
一方でリヴァプールは、「ヘイゼルの悲劇」「ヒルズボロの悲劇」という悲しい過去を纏っています。スタンドへの誘導ミスによって狭いエリアに入りきれないほどのファンが殺到し、窒息などで96人の命が失われた「ヒルズボロの悲劇」。スタジアム内には、その過ちを繰り返すまいという思いが込められたモニュメントが置かれています。ホーム、アウェイのファンを問わず、この地を訪れた人々は、この碑の前に立ち、静かに手を合わせるのです。
また近年、アンフィールドは、収容人数45,000人という規模ゆえ、UEFAのスタジアム評価で最高の5つ星が取れず、入場料収入が伸びないというリヴァプールの経営課題になっていました。数年前にはスタジアム移転の話が出ては消え、昨年はネーミングライツをしてもいいという話がなされ、これまた2ヵ月後に慌てて否定されるなど、その周辺には不穏な空気が漂っています。現在は、付近の住宅街を買収してスタンドを増設する、ということになっていますが、資金準備のメドが立っていないようで、いつ何がどうなるか、予断を許さない状況です。個人的には、イングランド人の誇りともいうべき、アンフィールドの名前と熱さ、美しさをぜひ、守っていただきたいと思います。いつまでも、エッジの立った倒しがいのあるライバルでいてほしい、と。
(ヒルズボロの悲劇モニュメント=著作者:Superbfc シャンクリー・ゲート=著作者:Andynugent)
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