偏愛的プレミアリーグ見聞録

おそらく、PK戦のキッカーを決めていたのでしょう。選手たちの間を歩きながら、ときどき指差して声をかけていた彼を見つめながら、ピッチでその姿を目にするのはこれが最後だろうと思っていました。

2022年12月9日、ワールドカップカタール大会準々決勝、オランダVSアルゼンチン。38分にモリーナに超絶スルーパスを通して先制ゴールを生んだメッシが、73分にアクーニャが倒されて得たPKを右隅に決めて2-0。最後のワールドカップと宣言していた10番のゲームと記憶されようとしていた一戦は、83分にベルハイスのクロスをベクホルストがヘッドで合わせ、風向きが変わりました。

追加タイムは10分。FKとCKを何度もゲットしていたオランダは、100分にボックス手前でもらったラストチャンスを活かしました。強く蹴ると見せかけたコープマイネルスがゴール前に転がすと、走り込んだベクホルストが足元に収め、すぐさま左足でシュート。ボールはエミリアーノ・マルティネスの脇を抜け、ルサイル・アイコニック・スタジアムに悲鳴が鳴り響きました。

2-2の延長戦は、オランダはノーチャンス。リサンドロ・マルティネスをディ・マリアに代え、最終盤に猛攻を仕掛けたアルゼンチンは、ラウタロ・マルティネスの左足シュートをGKノペルトのビッグセーブに阻まれ、エンソ・フェルナンデスの決定的なミドルは左のポストに弾かれました。

120分を終えてもイーブン。相変わらず立ち姿が美しいルイス・ファン・ハールは、PK戦に挑む選手たちを叱咤しながら、勝つと信じていたのでしょうか。「ABEMA」で解説を務めていた中田浩二さんは、追いついたオランダが有利といっていたのですが、私はメッシのチームが勝つとしか思えませんでした。

理由はひとつ。スタジアムの空気です。コイントスを制したファン・ダイクは、オレンジの集団が右に見えるサイドを選択したのですが、スタンドの大半は水色と白に占拠されています。最初のキッカーとして、リヴァプールのCBがスポットに立つと、ブーイングが止まらなくなりました。

これほど圧倒的なアウェイを、見た記憶はありません。容赦なく降り注ぐ大音量。2人しかいない当事者のひとりは、プレッシャーと孤独に耐えなければなりませんでした。大好きなファン・ダイクには決めてほしい。しかし、外すとしか思えない…。コースを読ませない速いモーションのキックは、右と決めたエミリアーノ・マルティネスが弾きやすい高さでした。

2人めのベルハイスも、日本やスペインと同じ失敗を繰り返してしまいました。サポーターの声援を受けたアルゼンチンは、エンソ・フェルナンデスがミスしただけで3-4。最後までオランダの人々に希望を抱かせた71歳の指揮官は、闘病という私的な戦いに戻ることになりました。

「一緒に仕事をしている人々に、話すべきではないと思った。彼らの選択や決断力に影響を与える可能性があるからだ。前立腺癌で死ぬことはない。少なくとも90%の症例ではそうだった。死ぬとしたら、他の基礎疾患が原因となる。しかし、私の場合はかなり進行しており、25回も放射線を浴びた。人生を乗り切るために、やらなければならないことがたくさんある」

4月に進行性の前立腺癌を患っていると告白した指揮官は、オランダ代表のゲームで指揮を執った後、病院に直行するというルーティンから解放されるのでしょう。

ファン・デル・サール、ライツィハー、ダニー・ブリント、フランク・デ・ブール、ライカールト、ダーヴィッツ、セードルフ、リトマネン、ジョージ・フィニディ、ロナルド・デブール、オーフェルマルス、そしてカヌとクライファート。アヤックスで3-4-3の革命を起こし、無敗で制した1994-95シーズンのチャンピオンズリーグを、忘れることはありません。

マンチェスター・ユナイテッドでは、2年という短いお付き合いでしたが、最後のFAカップを持ち帰ってくれたこと、マーカス・ラシュフォードを世に送り出してくれたことに感謝しています。不器用なコミュニケーションゆえ、嫌いと公言する選手も多い監督でしたが、アヤックス、バルサ、AZ、バイエルンでのリーグ制覇は、名将という言葉にふさわしい足跡です。

ファン・ダイクを包む異様な雰囲気が心に残る今は、「彼らは最後までチャレンジした」としかいえません。ワールドカップ史上最多のイエロー18枚が乱れ飛んだ120分の死闘は、ずっと語り継がれる一戦となるのかもしれません。メッシの素晴らしさを語るひとつのエピソードとして、あるいは彼の最後の舞台として。