2021.07.09 ユーロ2020プレミアリーグ観戦記
ファンも評論家も熱狂…ユーロ2020雑感~ファイナル進出のイングランドに思うこと。
「これはチームだ。いや、実際はチームではなく家族なんだ。彼らはこの瞬間、真に一丸となっていた。鳥肌が立ったね。あのとき、私たちはどこにいたんだろう?と思う。感動的だった。ガレス・サウスゲートはラヒム・スターリングに近づき、今まで見たこともないほど強く抱きしめた。これは魔法。マジで魔法だね」(カレン・カーニー)
「長い間、待ち望んでいた。ついに実現したんだ!自分が生きている間には、もう見られないのではないかと疑っていた」(ガリー・リネカー)
「われわれの人生において、こんなことは1度たりともなかった。多くの痛みと失望を味わった後、ファイナルに進むことになった。彼らはただの若いヤツらではない。今年、成し遂げた者たちだ」(ガリー・ネビル)
「今日のような雰囲気を感じたことはない。ファンは本当に素晴らしい。ウェンブリーがホームであることを忘れてはいけない。われわれはロシアのことをよく話すけど、みんなが見守っていたウェンブリーの光景は、衝撃的だった。このスタジアムに畏敬の念を抱いている。ここにいるだけで、そんな思いを抱く」(マイカ・リチャーズ)
プレミアリーグが開催されている最中は、口うるさい評論家のみなさんが、あまりにも感動的なシーンを目撃して声を震わせています。リネカーさんとガリー・ネヴィルさんには、「もうひとつ、ありますけど…」とささやいてあげたほうがいいでしょう。ファイナル進出は素晴らしい成果ですが、聖地ウェンブリーの「ホームゲーム」でイタリアに勝てなければ、最後の敗者という記録が残るだけです。
「あれはPKではない」と声を挙げたジョゼ・モウリーニョ、アーセン・ヴェンゲル、ロイ・キーンも、イングランドがファイナリストにふさわしいチームであるという評価に異論はないでしょう。海を渡ってやってきたプレミアリーグのOBたちが一斉に非難したあのシーンについては、クリス・ワドルさんが国民の気持ちを代弁しています。
「Dubious penalty, I’m still not convinced, but who cares? We’re in the final.(疑わしきペナルティ。私も確信しているわけではないけど、誰が気にするんだ?われわれはファイナルにいる)」
1966年の母国開催のワールドカップをジェフ・ハーストの「疑惑のゴール」で勝ち取ったイングランドは、以来半世紀に渡って借りを返すかのように、ジャッジとPKという運が介在するシーンで泣かされてきました。マラドーナの「神の手」と、フランク・ランパードのミドルは明らかな誤審。ワールドカップでは1990年、1998年、2006年、ユーロでも1996年、2004年、2012年をPK戦で落としています。
55年ぶりのファイナルという夢のような時間を迎えた彼らにとっては、スターリングがダイブといわれたシーンも、ハリー・ケインがシュマイケルに止められた瞬間も、輝かしい歩みのなかの小さな出来事でしかないのだと思われます。
96年のユーロで自らPKを外して敗れたサウスゲート監督は、鬼門の準決勝で、これ以上ない慎重策を講じて勝利に辿り着きました。グリーリッシュの賞味期限は、勝ち越しゴールを奪うまで。2-1となると、途中出場の選手を下げるというアクロバティックな采配で、相手のシュートチャンスを最小限に抑える戦術を徹底しました。
サイドでフリーになったトリッピアーもスターリングも、クロスを上げずにキープ。マイボールになると必ずスローに落とし、デンマークの前線と最終ラインを分断しました。これまでのイングランドになかったリアリティ。6試合で1失点という堅守と、前線へのスルーパスとボックス脇からの高速クロスというシンプルなアタックは、負けないことを最優先にした戦い方にほかなりません。
イングランドのみなさんは、マルセロ・ビエルサという鬼才に感謝すべきでしょう。彼が戦術を授けたペップ・グアルディオラがプレミアリーグの新潮流を築き上げ、ジョン・ストーンズとラヒム・スターリングという稀有なタレントをワールドクラスに成長させました。ビエルサ本人も、カルヴァン・フィリップスを容赦なく走らせ、イングランドの中盤をコントロールできるレベルに引き上げています。
「退屈だけど負けないイングランド」は、勝負強さでは先輩格のイタリアを倒すことができるでしょうか。プレミアリーグファンとしては、スターリングかハリー・ケインが単独得点王になるという終わり方を期待しつつも、グリーリッシュを投入したラスト15分で決勝ゴールを奪う1-0を見たい気分もあります。どちらもシュートを打てないヒリヒリするような神経戦を、堂々と制する姿を…。
最後の夜も、WOWOWオンデマンドとBBCライブをパラレルで追いかけながら、好きなリーグの選手たちの躍動や評論家たちの言葉を記録に残したいと思います。
「長い間、待ち望んでいた。ついに実現したんだ!自分が生きている間には、もう見られないのではないかと疑っていた」(ガリー・リネカー)
「われわれの人生において、こんなことは1度たりともなかった。多くの痛みと失望を味わった後、ファイナルに進むことになった。彼らはただの若いヤツらではない。今年、成し遂げた者たちだ」(ガリー・ネビル)
「今日のような雰囲気を感じたことはない。ファンは本当に素晴らしい。ウェンブリーがホームであることを忘れてはいけない。われわれはロシアのことをよく話すけど、みんなが見守っていたウェンブリーの光景は、衝撃的だった。このスタジアムに畏敬の念を抱いている。ここにいるだけで、そんな思いを抱く」(マイカ・リチャーズ)
プレミアリーグが開催されている最中は、口うるさい評論家のみなさんが、あまりにも感動的なシーンを目撃して声を震わせています。リネカーさんとガリー・ネヴィルさんには、「もうひとつ、ありますけど…」とささやいてあげたほうがいいでしょう。ファイナル進出は素晴らしい成果ですが、聖地ウェンブリーの「ホームゲーム」でイタリアに勝てなければ、最後の敗者という記録が残るだけです。
「あれはPKではない」と声を挙げたジョゼ・モウリーニョ、アーセン・ヴェンゲル、ロイ・キーンも、イングランドがファイナリストにふさわしいチームであるという評価に異論はないでしょう。海を渡ってやってきたプレミアリーグのOBたちが一斉に非難したあのシーンについては、クリス・ワドルさんが国民の気持ちを代弁しています。
「Dubious penalty, I’m still not convinced, but who cares? We’re in the final.(疑わしきペナルティ。私も確信しているわけではないけど、誰が気にするんだ?われわれはファイナルにいる)」
1966年の母国開催のワールドカップをジェフ・ハーストの「疑惑のゴール」で勝ち取ったイングランドは、以来半世紀に渡って借りを返すかのように、ジャッジとPKという運が介在するシーンで泣かされてきました。マラドーナの「神の手」と、フランク・ランパードのミドルは明らかな誤審。ワールドカップでは1990年、1998年、2006年、ユーロでも1996年、2004年、2012年をPK戦で落としています。
55年ぶりのファイナルという夢のような時間を迎えた彼らにとっては、スターリングがダイブといわれたシーンも、ハリー・ケインがシュマイケルに止められた瞬間も、輝かしい歩みのなかの小さな出来事でしかないのだと思われます。
96年のユーロで自らPKを外して敗れたサウスゲート監督は、鬼門の準決勝で、これ以上ない慎重策を講じて勝利に辿り着きました。グリーリッシュの賞味期限は、勝ち越しゴールを奪うまで。2-1となると、途中出場の選手を下げるというアクロバティックな采配で、相手のシュートチャンスを最小限に抑える戦術を徹底しました。
サイドでフリーになったトリッピアーもスターリングも、クロスを上げずにキープ。マイボールになると必ずスローに落とし、デンマークの前線と最終ラインを分断しました。これまでのイングランドになかったリアリティ。6試合で1失点という堅守と、前線へのスルーパスとボックス脇からの高速クロスというシンプルなアタックは、負けないことを最優先にした戦い方にほかなりません。
イングランドのみなさんは、マルセロ・ビエルサという鬼才に感謝すべきでしょう。彼が戦術を授けたペップ・グアルディオラがプレミアリーグの新潮流を築き上げ、ジョン・ストーンズとラヒム・スターリングという稀有なタレントをワールドクラスに成長させました。ビエルサ本人も、カルヴァン・フィリップスを容赦なく走らせ、イングランドの中盤をコントロールできるレベルに引き上げています。
「退屈だけど負けないイングランド」は、勝負強さでは先輩格のイタリアを倒すことができるでしょうか。プレミアリーグファンとしては、スターリングかハリー・ケインが単独得点王になるという終わり方を期待しつつも、グリーリッシュを投入したラスト15分で決勝ゴールを奪う1-0を見たい気分もあります。どちらもシュートを打てないヒリヒリするような神経戦を、堂々と制する姿を…。
最後の夜も、WOWOWオンデマンドとBBCライブをパラレルで追いかけながら、好きなリーグの選手たちの躍動や評論家たちの言葉を記録に残したいと思います。
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イングランド、ファイナル進出おめでとう
しかし、優勝かそうでないかの差は限りなく大きいですね!
決勝も生ではなく、録画で観ることになりますので、情報をできるだけ遮断して臨場感を味わいたいと思います。