オールド・トラフォード探訪~(3)”ミュンヘンの悲劇”
私がマンチェスター・ユナイテッドのファンになったきっかけは、1982年のスペインワールドカップでブライアン・ロブソンとノーマン・ホワイトサイドの存在を知ったこと、そしてほぼ同じ頃、イングランドにダンカン・エドワーズという天才プレーヤーがいたことを雑誌で読んだことでした。
ミュンヘンの悲劇。1958年2月、ベオグラードでチャンピオンズカップ準々決勝の勝ち抜けを決め、帰路、凍てつくミュンヘンに立ち寄ったプロペラ機が空に浮かべなかったために、選手8人、記者、チームスタッフ、添乗員15人の命が奪われました。そのなかには、18歳で代表デビューし、将来を嘱望されていた左サイドのオールラウンダー、チームのキャプテンだったダンカン・エドワーズもいたのです。
もちろん、犠牲になった方々の命に軽重はないのですが、8人が元気だったら、当時、最強と謳われていたマンチェスター・ユナイテッドが、どんなサッカーを見せ、どんな歴史を残してくれただろうかと思わずにはいられません。それでも奇跡的に生き残ったサー・マット・バスビーとボビー・チャールトンは、事故の記憶についてまわる恐怖心を克服し、チームを立て直しました。5年後にFAカップに勝ち、7年後にはリーグ制覇。そして10年めの1968年には、デニス・ローやジョージ・ベストとともに迎えたチャンピオンズカップで、悲願の初優勝を遂げるのでした。
中学3年生の頃、一連のストーリーに触れ、自分の生まれた年に、遠く離れたロンドンのウェンブリー・スタジアムでこんなドラマが起こっていたのか、と感動したことを覚えています。
そして30年が過ぎ、自分はオールド・トラフォードに立っており、サー・マット・バスビーの銅像を、ミュンヘンの悲劇の碑を目の前にしている。あの頃の心の震えが蘇ってくる…。
すみません。少しセンチメンタルに過ぎたかもしれません。しかし、長きにわたって心が動く場所があることを幸せに思います。そして、またここに戻ってきたいと思います。私にとっては、オールド・トラフォードとは、そんな特別な場所なのです。
サッカーを愛し、試合を観るたびに熱くなっているファンの数だけ、さまざまな思い、好きなエピソード、特別な場所があるのでしょう。これからも、いろいろな人の話が聞きたい、心に触れたい、そう思って記事を書いています。この記事を読んでいただいた方々、これからもよろしくお願いします。さて、今週末、チェルシーとアーセナルはどうなりますかね?ユナイテッドはトッテナムに負けるわけにはいかないんだけど…。
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