2021.12.16 選手トピックス
「とても困難な瞬間だった」引退を決断したセルヒオ・アグエロに贈る言葉。
あの夏、クリスティアン・エリクセンのアクシデントを目の当たりにした者としては、「もっと見たかった」という前に「ピッチで大事に至らなくてよかった」と安堵するべきなのでしょう。「とても困難な瞬間だった」。自らの決断を振り返ったストライカーは、俯いてため息をつき、時折涙を拭いながら今の心境を語り続けました。
セルヒオ・アグエロ、引退。公式戦685試合385ゴール、プレミアリーグ275試合184ゴール、ラ・リーガ179試合75ゴール。
10シーズンを過ごしたマンチェスター・シティに別れを告げ、バルセロナに入団した33歳のベテランは、ふくらはぎ痛で出遅れ、10月17日のバレンシア船が新天地でのデビューとなりました。最初の試合は3分、ディナモ・キエフとのCLは15分。カンプ・ノウで開催されたエル・クラシコでは、74分にファティの後を受け、追加タイム7分に得意のニアからのボレーを決めています。
4試合めのバジェカーノ戦で、移籍してから初のフル出場。異変が起こったのは、10月30日のアラベス戦でした。空中戦の後、眩暈を感じ、胸を押さえてピッチに倒れ込んだアグエロは、立ち上がってピッチから退き、病院で検査を受けました。診断の結果は、不整脈。医師からは、フットボールを止めるべきといわれたそうです。
「最初の検査をしたとき、医師から電話がかかってきた。続けるべきでないという結論が出る可能性が非常に高いといわれた。自分自身を落ち着かせようとしたが、簡単ではなかった。きちんと考えて結論を出すまで、時間がかかった」
「少しでも希望が持てるように、できることはすべてやった。あまりなかったけどね。決断は、ポジティブだと思う。なぜなら、自分は今ここで、こうして伝えることができているのだから。そうならなかったかもしれないからね。以前ではなく、今起こったのもよかった」
ため息、呻き、涙、重い言葉を繰り返していたストライカーが、笑みを浮かべるようになったのは、20年にわたるフットボール人生のなかで心に残る瞬間について聞かれたときでした。「インディペンディエンテVSラシン、アトレティコで戦ったヨーロッパリーグ、QPR戦のゴール、コパ・アメリカ制覇」。最後に付け加えたのは「マドリード戦のラストゴール」でした。
2012年5月13日、プレミアリーグ2011-12シーズンの最終節。勝ち点86で並んでいたマンチェスター・ユナイテッドは、ひと足先にサンダーランドを1-0で下し、彼らの結果を待っていました。エティハドのゲームは、90分まで1-2。リードしていたQPRは、10人で必死に守っていました。92分にジェコが決めて2-2。マンチェスター・ユナイテッドサポーターにとっては、長く感じられた追加タイム、そして悲しい結末。
追加タイムは残り1分を切り、バロテッリをポストに使って右に流れた16番がひとりかわして右足を振り抜いた瞬間、44年ぶりとなるマンチェスター・シティのプレミアリーグ制覇が決まりました。あの日以来、私のなかでは、セルヒオ・アグエロは常に勝者でした。ニアに高速のグラウンダーが入った瞬間、何度目をつぶったことか。プレミアリーグ歴代4位、南米出身の選手として最多ゴールを積み重ねた稀代のゴールゲッターは、最高に素晴らしく、最も憎たらしい存在でした。
「I leave with my head held high」
私は、頭を上げて去る…誇り高いストライカーの記憶が、消し去られることはないでしょう。濃密な10年を、ありがとうございました。体を大事にしながら、新たな人生を歩み始めていただければと思います。会見の終盤で、ペップ・グアルディオラ、チキ・ベギリスタイン、アグアントニオ・ロペスらが見守るカンプ・ノウのスタンドを笑わせたひとことは、いつもピッチで笑顔を見せていたクン・アグエロらしい言葉でした。
「It’s not bad for a last goal, right?(最後のゴールとしては、悪くなかったよね?)」
セルヒオ・アグエロ、引退。公式戦685試合385ゴール、プレミアリーグ275試合184ゴール、ラ・リーガ179試合75ゴール。
10シーズンを過ごしたマンチェスター・シティに別れを告げ、バルセロナに入団した33歳のベテランは、ふくらはぎ痛で出遅れ、10月17日のバレンシア船が新天地でのデビューとなりました。最初の試合は3分、ディナモ・キエフとのCLは15分。カンプ・ノウで開催されたエル・クラシコでは、74分にファティの後を受け、追加タイム7分に得意のニアからのボレーを決めています。
4試合めのバジェカーノ戦で、移籍してから初のフル出場。異変が起こったのは、10月30日のアラベス戦でした。空中戦の後、眩暈を感じ、胸を押さえてピッチに倒れ込んだアグエロは、立ち上がってピッチから退き、病院で検査を受けました。診断の結果は、不整脈。医師からは、フットボールを止めるべきといわれたそうです。
「最初の検査をしたとき、医師から電話がかかってきた。続けるべきでないという結論が出る可能性が非常に高いといわれた。自分自身を落ち着かせようとしたが、簡単ではなかった。きちんと考えて結論を出すまで、時間がかかった」
「少しでも希望が持てるように、できることはすべてやった。あまりなかったけどね。決断は、ポジティブだと思う。なぜなら、自分は今ここで、こうして伝えることができているのだから。そうならなかったかもしれないからね。以前ではなく、今起こったのもよかった」
ため息、呻き、涙、重い言葉を繰り返していたストライカーが、笑みを浮かべるようになったのは、20年にわたるフットボール人生のなかで心に残る瞬間について聞かれたときでした。「インディペンディエンテVSラシン、アトレティコで戦ったヨーロッパリーグ、QPR戦のゴール、コパ・アメリカ制覇」。最後に付け加えたのは「マドリード戦のラストゴール」でした。
2012年5月13日、プレミアリーグ2011-12シーズンの最終節。勝ち点86で並んでいたマンチェスター・ユナイテッドは、ひと足先にサンダーランドを1-0で下し、彼らの結果を待っていました。エティハドのゲームは、90分まで1-2。リードしていたQPRは、10人で必死に守っていました。92分にジェコが決めて2-2。マンチェスター・ユナイテッドサポーターにとっては、長く感じられた追加タイム、そして悲しい結末。
追加タイムは残り1分を切り、バロテッリをポストに使って右に流れた16番がひとりかわして右足を振り抜いた瞬間、44年ぶりとなるマンチェスター・シティのプレミアリーグ制覇が決まりました。あの日以来、私のなかでは、セルヒオ・アグエロは常に勝者でした。ニアに高速のグラウンダーが入った瞬間、何度目をつぶったことか。プレミアリーグ歴代4位、南米出身の選手として最多ゴールを積み重ねた稀代のゴールゲッターは、最高に素晴らしく、最も憎たらしい存在でした。
「I leave with my head held high」
私は、頭を上げて去る…誇り高いストライカーの記憶が、消し去られることはないでしょう。濃密な10年を、ありがとうございました。体を大事にしながら、新たな人生を歩み始めていただければと思います。会見の終盤で、ペップ・グアルディオラ、チキ・ベギリスタイン、アグアントニオ・ロペスらが見守るカンプ・ノウのスタンドを笑わせたひとことは、いつもピッチで笑顔を見せていたクン・アグエロらしい言葉でした。
「It’s not bad for a last goal, right?(最後のゴールとしては、悪くなかったよね?)」
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あのQPR戦。
ファンであるアーセナルの試合以外のゴールで、椅子から飛び上がり転ぶほどの衝撃を受けたゴールシーンは他に記憶がありません。
メッシとロナウドのいない(いなかった)プレミアリーグにおいて、ナンバーワンのストライカーは彼であったと僕は思います。
ファンペルシーもオーバメヤンもスペシャルな選手ですが、「D・シルバからラストパスがアグエロに入った瞬間にはもうお終い」と諦めてました。
おっしゃる通り、彼が最も不幸な形での引退にならなくて本当に良かったと今は思います。
アーセナル以外の選手の引退で、ここまで寂しい気持ちになるとは。
アーセナルが勝って最高の朝のはずなのに、気分が晴れません。
お疲れ様でした。
苦渋の決断にも関わらず、管理人さんもおっしゃる通り彼らしいポジティブな言葉を心の底から発するクンを見て、選手としては勿論のこと人としてもこの人が好きなんだと改めて実感しました。
たくさんの歓喜をありがとう。