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偏愛的プレミアリーグ見聞録

マンチェスター・ユナイテッドファンですが、アーセナル、チェルシー、トッテナム、リヴァプール、エヴァートンなどなど何でも見てしまう雑食系プレミアリーグファンです。プレミアリーグ観戦記、スタジアム、チーム情報からロンドンやリヴァプールのカルチャーまで、幅広く紹介しています。

「私は孤独だった」…あまりにも悲しく無残だったウナイ・エメリ、アーセナルで過ごした1年半の真実。

「Arsenal couldn’t protect me. Truth is, I felt alone」。アーセナルは自分を守れなかった。私は孤独だった…。「ガーディアン」が、昨年の11月に解任されたウナイ・エメリさんのロングインタビューを掲載しています。最初に描かれたシーンは、チェルシーに1-4で惨敗したバクーからの帰還です。自宅で3時間の睡眠を取った後、ロンドンのコロニーに戻った当時の指揮官は、選手たちと個別面談を実施。自身の計画を伝え、選手たちの意向を確認しました。たったひとり、姿を現さなかった主力を除いて…。試行錯誤ばかりだった1年半は、メスト・エジルとわかり合えずに終わった季節でもありました。プレミアリーグでTOP4フィニッシュを達成できず、ヨーロッパリーグでも敗れてCLのチケットを手に入れられなかった指揮官にとって、10番と話せないまま突入した1年めのオフは、まさに終わりの始まりでした。

「最初のシーズンはうまくいった。これは私のチームだと思えた」。指揮官の述懐について、意見を求められれば、「3月までは」と返すでしょう。ジャカのミラクルショットでマンチェスター・ユナイテッドに完勝し、4月1日の31節でニューカッスルを2-0で封じたとき、エメリ監督率いる新生ガナーズは3位に着けていました。激痛だったのは、ELでナポリに完勝した後の7日間です。クリスタル・パレス、ウルヴス、レスターに3失点を3回繰り返し、3連敗。5位に陥落したチームは、守備を立て直せないまま、チェルシーでの最後の試合と思い定めたエデン・アザールにいいようにやられて欧州制覇も逃してしまいました。

最終盤の崩壊について「理解不能」と切って捨てたエメリさんは、ひとつだけ明快な理由を挙げています。「いつも全力を尽くしてくれていたラムジーの負傷、大きな影響を及ぼした。彼は、積極性と非常に多くのエネルギーをもたらしていた。4月は、彼を欠きながら多くの重要なゲームをプレイしていたので、すべてのプレイヤーが100%の暗黙の了解をもってプレイすべきだった」。リーダーシップ溢れるセントラルMFのユーヴェ移籍は、次のシーズンの低迷につながる最初のトリガーでした。

EL出場が決まったシーズンオフに、アーセナルは積極補強を敢行します。ニコラ・ペペ、キーラン・ティアニー、ダヴィド・ルイス、ガブリエウ・マルティネッリ、ウィリアム・サリバに1億3000万ポンド以上の投資。これについても、元監督は「間違いを犯した」と振り返っています。「責任を負うのは自分だが…」と前置きして語り始めた彼の言い分に耳を傾けてみましょう。

「4人のキャプテンが全員がいなくなってしまった。ラムジーは出ていくと決めていた。もし彼が残れば、チームにとっても私にとってもよかっただろう。ペトル・チェフは引退した。これは大丈夫。しかし、ローラン・コシールニーとナチョ・モンレアルには留まってほしかった。リーダーがすべて去ったため、ドレッシングルームは別なものになってしまった」
「われわれはペペとサインした。いい選手だけど、われわれは彼のキャラクターを知らず、彼には時間と忍耐が必要だった。私が支持していたのは、プレミアリーグをよく知り、フィットする時間を必要としない選手だ。ウィルフリード・ザハは、トッテナム、マンチェスター・シティ、そして私たちを倒した。これこそが、私がほしいプレーヤーだと伝えた。私はザハに会い、彼は来たがっていた」

クリスタル・パレスが売りたがらなかったザハが高額だったのも事実と認めながら、クラブの補強に不満を感じていたようです。シーズンが始って間もなく、あの事件が起こりました。選手によるキャプテン投票。エメリさんと1時間、向き合って思いを探ったマドリード在住の評論家シド・ロウ氏は「なぜ自分で決めなかったのか」と問うています。返ってきた答えは、「私の戦略は50%が私、50%が彼らだった。プレーヤーの意見を聞くのが好きなんだ。キャプテンの資質がある人物もいたけど、時間と支持者が必要だ。特定の人々やファンのサポートがなければ、それは困難…」。ここまでモヤモヤを抱えながら読んでいた私は、思わず声に出してしまいました。「最高の支持者は、あなたでしょう。なぜ、ジャカを守らなかったのか…⁉」。

エジルについて、「さまざまな話をしたが、彼のほうも自己批判が必要。自身の態度と責任を分析しなければならない」「私は、エジルをサポートするために全力を尽くした」「キャプテンもあったかもしれないが、ドレッシングルームはなってほしくなかった。私が決めたのではなく、選手たちが決めたことだ」と語ったスペイン人指導者に対して、「エジルにうまく対応できなかった」と評したジャーナリストは憤りを隠しませんでした。彼は自ら介入できなかったのか?ラムジーに留まるよう説得したり、契約を更新するために強く後押ししたりすることはできなかったのか?モンレアルは、あるいはコシールニーは?なぜキャプテンに関する問いを引き延ばし、グダグダにさせてしまったのか?グラニト・ジャカというあまりにも不人気な決定は、サポーターとの対立で終わらせるしかなかったのか…?

シド・ロウ氏は、エメリ監督に抱いた印象をこんなふうに表現しています。「Implicación. If there is a word repeated often over the hour’s conversation, it is that. In English it is commitment and it was missing(暗黙の了解。1時間の会話のなかで、頻繁に繰り返される単語だった。英語ではコミットメントというが、それは欠けていた)」。アーセナルが混乱してしまった根本的な理由が、ようやくわかったような気がしました。12月から指揮を執ったアルテタ監督が語っていたことこそが、自信を失っていたチームに必要だったのだとあらためて思います。

「あのタイミングで引き継ぐのは簡単ではなかった。あの頃のトレーニング施設やスタジアムに漂うエネルギーは、偉大なクラブにふさしくないと思ったね。以前、ここでプレイしていたときは、それを幸せだと感じていた。初めにやるべきことは、全員にそう感じさせることだった。多くのセクションで生じていた亀裂を塞ぎ、全員の気持ちをまとめなければならなかった。まずは、このクラブにいることが、どれだけ幸せなのかを選手たちに理解させた。そして、自分たちがめざすべきポジションと明確な方向性を示したんだ」(ミケル・アルテタ)

エメリさんの話に戻りましょう。最も悲しかったのは、彼のこんな言葉です。「ヴェンゲルは全権を掌握していたが、私にはラウル(・サンレヒ)とエドゥがいた。私の仕事はサッカーで、彼らがその他のことを進めていたが、そのうちのいくつかは私を傷つけた」「今までのすべてのクラブで、私は守られてきた。ロルカ、アルメリア、バレンシア、パリ・サンジェルマン。セヴィージャにはモンチがいた。PSGでは、ナセル・アル=ケライフィがドレッシングルームでもパブリックでも守ってくれた。アーセナルは、おそらくすべてを手掛けていたヴェンゲルがいなくなったために、私を守ることができなかった。Truth is, I felt alone(私は孤独だった、それが真実だ)」。あまりにも不器用で、あまりにも受け身だった元指揮官について、思うことがあります。もし、あの人がクラブに残ってサポートしてくれていたら、ウナイ・エメリは自信をもって選手や経営ボードに働きかけることができたのではないか…。

「アーセナルは、これまでプレイしてきたなかで、最高のビッグクラブだ。アーセナルの選手だったことを誇りに思っている。クラブを去っても、変わらず応援してくれるファンには感謝してもしきれない。いつかまた、ガナーズの一員になれたらと思っている」「できれば引退する前にもう一度、アーセナルでプレイしたい。グーナーたちに、きちんと別れを告げられなかったのを後悔しているんだ」(サンティ・カソルラ)


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