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偏愛的プレミアリーグ見聞録

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デヴィッド・ベッカム引退。思わず涙が出そうになった、彼らしい最後の言葉

昨日、パリ・サンジェルマンのデヴィッド・ベッカム選手が引退を発表しました。38歳でしたが、年齢を感じさせないプレイぶりで、ブラジルワールドカップでイングランド代表に選ばれないと決まるまでは現役にこだわり続けるのだと思っていました。事実、パリ・サンジェルマンは現役続行を打診し、慰留したのですが「最高の時に引退したい」という意志が強かったようですね。彼の引退を聞くと、ひとつの時代にピリオドが打たれたような感覚があります。

彼の名前が強烈に頭に焼きついたのは、1996年のプレミアリーグ開幕戦、ウインブルドンを相手に決めた、ハーフライン手前からの超ロングシュートでした。それからというもの、何度となくあの速く美しいクロスボールとフリーキックに魅了されることになります。ドリブルに長けているわけでなく、守備がうまいわけでもなく、特段スピードがあるわけでもないのに、超一流のキックで世界をうならせ続けた異端のサイドMF。99年、マンチェスター・ユナイテッドがチャンピオンズリーグ、プレミアリーグ、FAカップのトレブル(3冠)を達成したとき、チャンピオンズリーグ決勝で見せた2本のCKは、このクラブでの最高の仕事でした。

初めて目の前でベッカムを観たのは、2003年2月9日、オールド・トラフォードのマンチェスター・ダービーです。ゲームは1-1のドローでしたが、前から5列め、コーナーフラッグ前の席から、彼の芸術的なキックに興奮したことを覚えています。同点に追いつかれた後、何とか勝ち越そうと誰よりも走り、「カモン、ベックス!」というサポーターの絶叫を受けながら、クロスを出し続けた背中を忘れることはないでしょう。イングランド代表のシンボルでもあり、クラブの大黒柱だった彼には、ずっとマン・ユナイテッドの背番号7を背負っていてほしかったのですが…。

結婚をきっかけに崩れたサー・アレックス・ファーガソン監督との信頼関係はついに修復せず、そこからスペイン、アメリカ、イタリア、フランスを渡り歩くことになります。レアル・マドリードではセンターMFもこなしましたが、カペッロ監督に認められず戦力外通告をされるなど、不遇な時期もありました。しかし、逆境に強い彼は、それでも腐らず黙々とトレーニングに励み、最後はチームの優勝に貢献して監督から謝罪の言葉を引き出したのです。チームプレーを大事にし、常に手を抜かない彼の誇りは、4つの国でチームを優勝に導いたことと、イングランド代表でキャプテンとして50を超えるゲームでプレイしたことでしょう。引退を語る最後の言葉はベッカムらしさにあふれ、心の底から感動しました。

「憧れだったマンチェスター・ユナイテッドでプレイして多くのトロフィーを手にした。誇り高きキャプテンも務め、イングランド代表で100試合以上戦った。世界有数のクラブに名を連ねた。子供の頃の自分にそれを伝えたら、ファンタジーだと言うだろうね。数々の夢を実現できたのは幸運だった」という言葉もさることながら、「あなたはどんな選手として人々に記憶されたいか?」と聞かれたときのひとことが最高です。それは、実に彼らしい、こんな言葉でした。

ハードワークをする選手として。

そうでしたね。98年のワールドカップ決勝トーナメント1回戦、アルゼンチン戦でシメオネに報復の蹴りを入れてしまい、イングランドじゅうから戦犯扱いを受け、「10人のライオンと1人の愚かな若者」とまでいわれたときも、黙っていいプレイを積み上げ、トレブルに貢献することで、失った信頼を勝ち取りましたね。その姿勢と数々の感動的なプレイに対する敬意を込めて、あなたの言葉の命ずるままに、あなたを記憶することとしたいと思います。サー・アレックス・ファーガソンと同じ年にピッチを去ることになったのも、何かの縁でしょうか。おつかれさまでした。そして、ありがとうございました。(写真著作者/Regular Daddy)

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