「あと2年はシティでプレイする」…小さな司令塔ダヴィド・シルヴァの8年を振り返る。
プレミアリーグ通算252試合49ゴール75アシスト。バルセロナやレアル・マドリードからの誘いを断り、当時は発展途上だったマンチェスター・シティに移籍したダヴィド・シルヴァは、「自分にとってベストの選択肢だった」と振り返っています。前年の12月からコンタクトを取ってきたマンチェスター・シティの熱意を感じ、自分を求めてくれているクラブに行くべきと判断したとのこと。離婚したばかりで、両親と暮らしていた24歳のMFにとって、プレミアリーグは新しい経験ができる絶好のステージに映ったようです。入団を知った当初は、「スペイン代表で活躍するかもしれないサイドアタッカーが来た」という感想しかなかったのですが、プレイを見て「これはやばい…!」と思いました。決まるまでのパスの本数とフィニッシュのエリアまで読み切ったような理詰めのプレーメイクは、明らかに脅威でした。
ヤヤ・トゥレとともに中盤のクオリティを上げた稀代のパサーは、初年度からクラブをFAカップ制覇に導きました。「成功につながるターニングポイントだった」。ご本人がキャリアのハイライトとして真っ先に挙げるのが、ウェンブリーでストークを1-0で下したこのタイトルです。翌シーズンにはアグエロが加わり、9節のオールド・トラフォードでマンチェスター・ユナイテッドを1-6で粉砕。マン・オブ・ザ・マッチは、バロテッリの2発をお膳立てした後、デ・ヘアとの1対1を確実に決めた21番でした。
32節終了時には、マン・ユナイテッドに勝ち点8差をつけられていたチームは、怒涛の5連勝で追いつくと、最終節のQPR戦は1-2で負けていた追加タイムにジェコとアグエロが決めて奇跡的な優勝を遂げました。このタイトルがなければ、マン・シティはレッズやガナーズのように悩みながら歩を進めていたかもしれません。以来、6年。プレミアリーグを2回、リーグカップを3回制したマン・シティの黄金時代は、ダヴィド・シルヴァの全盛期でもありました。
私が好きなプレイは、ボックス脇でSBを縦に走らせるスルーパスと、小さな体を目いっぱい使って叩き込むボレーです。緩急を操り味方を有利にするパスのクリエイティビティは、今でもプレミアリーグNo.1でしょう。2016年の夏にやってきたペップ・グアルディオラは、剛のデブライネと柔のダヴィド・シルヴァを左右のインサイドに配する最強のチームを創り上げました。プレミアリーグ29試合9ゴール11アシストのレフティがいたからこそ、相棒のデブライネが自由にプレイできる時間が増えたのだと思います。
「シティーのために、あと2年はプレイするよ。契約が残っているからね。その後のことはわからないけど、ラス・パルマスでやってみたいんだ。故郷のクラブだから。この先で何が起こるかは見てみよう」。2010年代のプレミアリーグで最高の司令塔は、まったく衰えを感じさせずにカナリア諸島のクラブに去っていくのかもしれません。アグエロにピンポイントのラストパスが届くのを見て、何度ため息をついたことか。ライバルクラブを最強にした憎き存在のはずですが、カウントダウンが始まったことを意識させられたとき、湧き起こる感情は安堵ではなく寂しさです。
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更新有難うございます。
スペイン人とイギリス人がどれだけ理解しあえるか、は別として、小柄でスキルフル、且つイマジネーション溢れるスペイン人が陽光溢れる(あくまで想像!)バレンシアからイングランドへ旅立ったストーリーに感動を禁じ得ません。
とにかく、彼はシティに数々のタイトルをもたらし、ペップの降臨にも従来以上の神プレイで貢献しました。
未熟児の出産で離脱を余儀なくされた時、ペップが檄を飛ばし、ケヴィンがゴールを決め、指で示した「21」!
何回見ても涙が出ます。